Vol.499「不都合な事実」

連日の台風ニュース、千葉の大停電の影響がよほどのことだったのか、過剰とさえ思ってしまう。メディアの社会的正義感が垣間見える気もするが、現実は避難所の映像に現れていた。千葉県館山市と三重県津市、双方とも同様の警戒度ながら館山はほぼ満杯、津はガラガラ。人間は痛い目をみないと動かないということか。いくらメディアが煽っても痛みを知らない人間は自分のこととして思えない、もしくは自分は大丈夫だと思ってしまうのだろう。

いや、待てよ。その事実・現実自体が間違っているかもしれない。確かに映像は事実、ただそれが全ての事実ではない。もしかしたら館山もガラガラの避難所があるかもしれないし、津だって満杯の避難所があるのかも。自分の都合がよいように局地的事実を解釈しているだけなのでは。これって、普段の仕事の場面で頻発しているように思った。

ある一つの事実を全体の事実として解釈する、例えばあるお客さんから「このあいだの野菜凄く良かったよ」と言われると、すべての野菜がそうであるように思ってしまう。いや、そう思いたい。「うちの野菜は最高です!」と。それが前提になると不都合な事実が曲げられがちになる。例えば商品に対するクレーム、「うちに限ってそんなことはない」と他所に原因を求めてみたりして、それが言い訳になったり対処時間を遅らせる。もしくは重要な改善ポイントを見落としてしまう。

局面的な話だけではない。非常に厳しかった5期の業績、6期は既にスタートしているが立てた計画が本当に正しいのか改めて考えた。5期の現実・事実を本当に幅広く集めたのか?思い込みの前提はないか?希望的観測は含まれていないか?行動できる目標となっているか?本当にその数字を達成する気が経営者にあるのか?それが現場まで伝わり行動に転化されているか。。。改めて考えると、思い当たる不都合な事実が満載だ。

ここ2期の低迷は全て自分に責任がある。言い訳になる都合の良い事実を並べても意味がない。責任を果たすためには不都合な事実も集め、直視して対策を考え、行動するしかない。
今の延長に未来はない、来年の今頃は会社が無くなるかもしれない不都合な可能性も直視しよう。反転攻勢には軌道修正致し方なし。

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