35「壁」
2018年9月29日
壁は乗り越えるためにある。
乗り越えられない壁はない。
そんな言葉がむなしく響くほどに、心はかなり重い。台風前の鉛色の空がその気分を助長しているのかも。
いくつかの出来事が重なってのことで、それが取り囲む壁のように立ちはだかり、その前で狼狽えている自分。
前向きな明るい話でなくて申し訳ない。でも、これも現実。元々事業を立ち上げていくリアルな状況を伝えていこうと思って始めた独り言、「修行と思って読んでいる」と言った友人もいたが、今回はちょっと荒行かも。それでも宜しければお付き合いを。
そもそも、壁は自分で作っている。これはたぶん真実。その道に進もうと思わなければその壁は無かったはずで、もしくは成長しよう・より良くしたいと思わなければ壁は現れなかったのかも。正直、あきらめれば楽になると思う。後の後悔を考えなければ。
こんな時に、過去に遡ってその時の決断を悔いたりする。あのまま辞めずに会社にいれば、とか、あの誘いに乗らなければ、とか。覆せない過去を考えても仕方ないのにね。これ、完全に今すべきことから逃れようとする半自動的思考回路。これが全自動になったらちょっと怖い。
力もないのに、出来ると思って手を広げすぎたせいか。確かにその通り。同じような事業をしていても会社が違えば環境は全く違う。もしくは、同じ会社でも事業内容が違えば組み立てが全く違う。それなのに、小さな成功体験を頼みにあれも出来る、これも出来ると思った自分の浅はかさ。いや、でもね、出来るは現時点が最終地点ではない。出来るようにするのがデキル人間の真骨頂。少なくともこいつなら出来ると思われたから今の環境があるはずで、そのように思ってもらった何らかの客観的な視点があったはずで、それは素直に認めてもいいんじゃないか。
出来るようにする努力をしなくなったら最終地点。まだまだ最終地点は遠い先。そもそもその最終地点に行くために必要と思ったから手掛けたことばかりだ。今は複線的に見えても後を振り返ればそれは支流になっていて、一つの大きな河に合流しているはず。たぶん。
一側面だけを見て全体を誤解される辛さ。例えば数字、昨年と今年では構成要素が違っているので、それを考慮してきちんと比較すればかなり良くなっているのに、最終数字だけであれこれ指摘される。正直頭にくる。それを覆そうとして色々説明してもただの言い訳にしか聞こえず逆効果になる。グっとこらえて自己消化しようとしてもモヤモヤは続き、精神衛生上非常によろしくない。
これは仕方ないね。事業を営む者、結局評価は最終的なアウトプットが全て。その過程の評価を求めようとするからそんな感情が起こる。そもそも業績が良ければそんな指摘もないはずだ。もっと言えば、人からの評価を得たいから事業をしているわけではないし。そんな感情を理由にやる気を失ったように思うこと自体が現状からの逃避に違いない。最善の改善策は実績を上げることだろう。
外を見ると、雨の中で田んぼの溝堀りをしている母・妻・義弟。結局先週は稲刈りが終わらず、今回の台風に備えて今できる努力をしている。効果は微々たるものかもしれない。それでもその姿はまぶしく映る。
机の上で悶々としても仕方ないよね。いくら思考を巡らせても状況は一ミリも変わらない。壁があるなら、どんな壁なのか直視しよう。そして、登って越えるか壊すのか穴をあけるか考えよう。それが決まれば行動あるのみ。今の状況をメンバーにもきちんと伝え、役割分担をして、自分のすべきことを明確にして行うこと。
台風、来るなら来い。いくら願っても避けられない現実はある。過ぎたら快晴に違いない。